「Culture Weavers」と題して、異なる文化の架け橋をされている方にお話を聞くインタビュー企画。第2回目は、台湾で最も多くのオリジナル漫画作品を商業出版している蓋亞文化で、編集長を務める李亞倫さんです。
李亞倫
蓋亞文化 漫画部編集長
台湾で漫画出版に20年以上携わる。2009年から蓋亞文化には参加、現在台湾のオリジナル漫画として年間最も多くの作品をリリースする。
これまでに50作品以上がヨーロッパ、北米、中国大陸、日本、韓国、東南アジアなどで翻訳出版され、多くの作品が映像化、ゲーム化などの2次展開も進行中。
出版作品は、台湾の金漫獎(Golden Comic Awards)や台北國際書展大獎(台北国際ブックフェア大賞)などを数多く受賞し、海外でも日本外務省が主催する「国際漫画賞」を数回受賞。
2019年には複合型の書店ブランド「基地書店(Basisbooks)」を設立し、ブックカフェを2店舗経営している。
写真は台湾オリジナル漫画をテーマにした台湾唯一の漫画専門書店「漫畫基地店」/蓋亞文化が運営(台北市大同区華陰街38号)
漫画部編集長という肩書きですが、編集以外の仕事もたくさんやられてますよね?
はい、いろいろやってます。
漫画部門としては、連載サイトや公式SNSを運用しています。漫画作品については、私が海外版権部も兼務しています。台湾文化部など政府関係の会議も私が参加します。また蓋亞文化は、現在台北で2軒の書店カフェを運営していますが、この立ち上げも私が担当しました。もっというと、社員旅行や春酒(日本でいう新年会)も、私が場所を探して予約していますね(笑)
蓋亞文化は、もともと漫画を作ったことがない会社で、私は漫画部門の立ち上げ時から参加しています。その時から「漫画」に関連する仕事はほとんど私が担当しています。編集という仕事も独学なので、私にとって編集以外のことも、自分の仕事として自然に受けれられるのかもしれません。
蓋亞文化で働く前は何をされていたんですか?
大学卒業後、台湾にあった「大然文化」という出版社の版権部で働き始めました。大然文化はいまはなくなってしまいましたが、かつては東立と並ぶような漫画出版社でした。
その後ご縁があって、ある日本の漫画家さんのライセンス管理会社が台湾に作った制作会社に転職しました。そこでの主な仕事は、日本からアニメ作品のマスターテープが届いたら、イタリア語の字幕を制作、VCDやDVDのパッケージ化まで台湾で完成させて、欧州へ輸出するというものでした。
その後、VCDやDVD関連の業務がひと段落して、仕事のメインは、日本の漫画をイタリア語に翻訳し、台湾で印刷・製本して、イタリアへ送るという内容に移っていくのですが、その時に、これだったら中国語もいけるんじゃないかとなり、繁体中文版の単行本を出すようになりました。
オリジナルではなく翻訳出版ですが、ここではじめて漫画編集という仕事を経験したんです。
そこからいろいろあって、2009年にその会社が蓋亞文化に買収され、蓋亞文化として漫画部門が誕生、現在に至ります。
蓋亞文化で特に思い入れのある作品はありますか?
どの作品にもそれぞれの思い入れがあって、どれかを特別に選ぶことはできませんが、自分の経歴の中でターニングポイントになったと感じる作品は、AKRUさんの『北城百畫帖』と左萱さんの『神之鄉』ですね。
『北城百畫帖』は、もともとCCC創作集(Creative Comic Collection創作集)で連載されていました。
最初のCCC創作集は、中央研究院(台湾総統府直轄の最高学術研究機関)が、自分たちで作った第1〜4号をFancy Frontier(台湾最大の同人イベント)で配布して、経費を使い切りいったん終了したんです。2010年前後だったと思います。
その後、中央研究院のメンバーが、蓋亞文化にこの4冊を持ち込み、相談に来てくれました。互いに目指す方向性が合うということで、台湾オリジナル漫画雑誌としてのCCC創作集を継続し、そこから生まれた作品を蓋亞文化から単行本発売する流れ、協業体制が誕生します。
実はこの時、中央研究院と蓋亞文化を繋いでくれたのが、AKRUさんの『北城百畫帖』なんです。AKRUさんは以前、蓋亞文化で小説のカバーを描いてくれたことがあって、CCC創作集をどこの出版社に相談しようか中央研究院のメンバーが悩んでいたところに、AKRUさんが「蓋亞文化に相談してみたら?」と言っていただいたことが、事の始まりなんです。
左萱さんの『神之鄉』は、私が担当した作品の中で、はじめて映像化(連続テレビドラマ)が実現した作品です。実際に出来上がった映像をみた時は、台湾オリジナルの漫画作品で、ついにここまで持ってくることができたと、胸に込み上げるものがありました。蓋亞文化が次のステージに向かう象徴的な作品になっていると思います。
「CCC創作集」は、商業出版としての台湾オリジナル作品の創世記を知る上で欠かせない存在ですが、休刊や復活、運営体制の変更など紆余曲折がありますね。このあたりの経緯について可能な範囲で教えてください。
中央研究院數位文化中心(中央研究院デジタル文化センター)が主体として、2009年から実施された台湾の歴史や文化に関する貴重な資料をデジタルアーカイブ化する計画「數位典藏與數位學習國家型科技計畫」の成果のひとつとして、2000年代後半にその資料を活用して台湾オリジナルの漫画を作るという企画が始まり、先ほど触れたFancy Frontierなどでの漫画配布が、2009年〜2010年にかけて実施されます。
当時の中央研究院には漫画業界の経験者がおらず、漫画家の選定から連載時の編集まで、蓋亞文化も参加して、一緒に協力して作っていました。CCC創作集10号までは中央研究院の予算で、11〜20号は蓋亞文化が全面的に資金提供し、CCC創作集を継続しました。この時は「なんで蓋亞文化がそこまでする必要があるのか」と批判の声も受けました。そうして周囲の反対もありながらも、なんとか続けていたのですが、発行間隔もだんだん広がってきて、関係者それぞれが限界を感じ、2015年に20号を最後に休刊を宣言したんです。
アランさんから「もうすぐ休刊になる…」と聞いた時は、私もすごくショックだったことを覚えています。でもその後、2017年の年末にCCC創作集はリニューアル復活を果たしますね。何があったんでしょうか?
休刊発表に対する反響が、自分たちの予想をはるかに上回るレベルで、すごく大きかったんです。なんと、立法院(日本の国会に相当)で議題として取り上げられ、「なんでこんなに良いものを終わらせるんだ!」という批判の声が高まりました。
その後、文化部(日本の文科省に相当)が投資し、中央研究院デジタル文化センターに実施を委託、CCC創作集が復活します。政府から予算がついたことで、新しいCCC創作集は、文化部と中央研究院が主体となって企画・編集が進むようになり、紙版が出版された最後の26号までは蓋亞文化は発行元としての役割だけを担いました。
CCC創作集の編集部は、2019年に生まれた文化內容策進院(略称:文策院、TAICCA)に移管、2020年8月デジタル版のみの発行に代わり、2023年7月に「CCC創作集」は「CCC追漫台」に名称変更されました。
アランさんが台湾オリジナル漫画の編集者を目指すようになったきっかけを教えてください。
まず漫画業界に入ろうと思ったきっかけは、当時台湾で流通していた日本漫画の翻訳品質に対して、その酷さに強い憤りを感じ、「自分が正してやる!」という決意からでした。
その後、翻訳出版よりもオリジナルに対する気持ちが引き寄せられた理由は、ふたつあります。ひとつはネガティブで、もうひとつはポジティブな理由です。
ネガティブな方からお話します。
最近はなくなりましたが、昔は台湾の出版社に対して理不尽なほど高圧的な態度で接する日本の出版社の方がいました。翻訳出版を行う台湾出版社は、日本からの許諾がないと漫画を出せない弱い立場なので、仕方がないと思っていたんです。
ところがある日、杭州の漫画出版社に招待され、現地のイベントに参加した際、台湾の出版社に対する態度と全く違う、地元政府の幹部たちにペコペコしているあの日本の担当者を見てしまったんです。
日本の漫画をリスペクトし、それまで中国語でより多くの正規翻訳版を作ってきたのは台湾であり、中国語圏への貢献をしてきたのは我々だと自負していたのに、台湾出版社には見せたことない日本人の姿を、杭州で見てしまったことがすごくショックでした。
そこで、いつかは自分たちで面白い漫画を作らないといけないと決心しました。
ポジティブな理由についてはもちろん、台湾で良い作家さんたちに出会ったからです。
様々な仕事に関わっているアランさんが、仕事でやりがいを感じる瞬間はいつですか?
やはり自分の関わった作品が認められた時(賞を取ったり、ヒットしたり、映像化されたりなど)ですね。そういう時は関わりの度合いが深ければ深いほど、喜びも大きいものです。
アランさんを取り巻く台湾作品の業界はどのように変化してきましたか?
蓋亞文化に参加した2009年頃、当時はまだ台湾にも漫画雑誌が存在しましたが、中身は日本の漫画がメインで、商業出版で活動する台湾漫画家はほとんどいない状態でした。
一方で、同人作家はいっぱいいました。儲けにならない商業出版をわざわざやるよりも、32ページ書いて200元〜260元で自分で売った方が良いと考えるのが一般的だっと思います。
それが、CCC創作集がきっかけとなって、商業出版を目指す作家が増えました。
今は、「漫画家を目指すこと=商業出版」と捉える作家さんも増えたと感じます。
蓋亞文化としての変化は、若い女性漫画家の比率が顕著に上がってきたことです。
こうした業界の変化の中で、アランさんご自身の仕事や働き方に変化はありますか?
作家さんの数がものすごく増えたので、編集の現場全てに関わることは不可能になりました。企画の立ち上げにはできるだけ参加しますが、最初の数話目までは見届けて、あとは現場に任せるようになってきました。私も私で、編集以外の仕事が増えてきたことも原因ですね。
業界関係者との繋がりを深める中で、「ギャップ」や「壁」を感じたことはありますか?
まだまだ台湾オリジナル漫画の知名度は低く、いまだに「台湾にオリジナル漫画があるの?」と驚かれることがあります。オリジナル漫画があることは知っていても、具体的な作品名まではご存知ない方も非常に多いのが現状です。
そのような状況なので、台湾の漫画業界内でも、例えば、漫画を原作として映像化するときに、どういう契約が必要で、どのような役割分担があるのか、ということも、色々と最初から説明しないといけないのが実態です。逆に、映像業界で良い脚本があるので、映像をリリースする前に、漫画化して出版したいというケースでも、ビジネスの議論を始める前に、非常に基本的なことからレクチャーが必要になります。
辛い時もありますが、いまはこうした努力も必要なステージだと思い、頑張っています。
Culture Weaver合同会社が、果たすべき役割はどのようなものだと考えますか?
台湾漫画業界のために、大きな役割を果たしてもらえると期待しています。
私が思う最大の課題は、長編連載ができないことです。マーケット的にリスクが大きく、手が出せないと思われています。台湾漫画業界をひとつ上のステージへ成長させるためには、モンスター級の大作を台湾から出した経験が必要です。
しかし、台湾の出版社も作家もそんな経験はありません。そこでまずは、台湾政府やTAICCAからの支援も活用しながら、経験豊富な日本から学びたいと考えています。
平柳さんは、台湾側にも日本側にも双方に強いコネクションを持つ人材です。台湾と日本の橋渡し役を大いに期待しています。
ビジネスのお問い合わせ先
蓋亞文化にとって初めての海外拠点として東京オフィスをオープンしましたので、当社の作品や台湾とのコラボレーションにご興味ある方は、そちらへどしどしとお問い合わせください。